いまは石造りの重厚なこの橋は、1807年に落成したときは鉄橋だった。

1848年までこの場所に関所が設けられていて、通行が多く重要な 橋の一つであった。その後、数カ所にひびが入り危険となってきたため、1854年に柱はそのまま保存してやや幅を広げた石造りのアーチ橋となり、交通量の 増加に際して1885年にさらに幅の広い橋が再々建されて現在に至っている。

10年ほど前、やはり車の渋滞を避けるためにシャルル・ド・ゴール橋ができ て、車の流れをそれぞれ別に担当するようになった(Vol.0027)。

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ところで、19世紀初めと言えば、フランス革命後に彗星のように現れた英雄ナポレオンの全盛時代。この橋の名前の由来も、1805年12月5日に ナポレオンの軍隊がロシア・オーストリア軍を打ち負かした勝利を記念してつけられた。「オステルリッツ」は、当時オーストリア領であった戦場の名前なのだ(日本語表記は「アウステルリッツ」になっている)。橋の両側にある広場(Valhubert、Mazas)もこのときの戦いで命を失った軍人だ。

ナポレオンは数年後にプルシア軍を破った。その記 念に建設されたのが、エッフェル塔近くのイエナ橋。もう、そんなことは過去のこととしても、現チェコ領であるアウステルリッツや元東独のイェーナから訪 れた人たちがこれらの橋を渡るとき、どんな感慨にふけるだろう。(その3に続く)