この建築業者マリー氏の事業は、橋が完成したあとも続いた。

というのは、この時代、橋は往来の場所であると同時に人が住む場所でもあったから、 行政側の要請を汲みいれつつ、橋の機能や景観を壊さず住民の意思も反映しながら、そこに50軒の家や商店が建てられることになったからだ。

が、この橋の上 に住む人たちの家は、1658年のある晩、増水の折に島側のアーチが流されて一夜のうちに三分の二が消えてしまう。流された人60人。残った半分 の橋から島へ渡る木橋ができるのが2年後、そこに料金所をもうけて石橋建設の資金の足しにして、ようやく1670年に流された半分が元に戻るのである。なんとも悠長な時代だ。

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サン・ルイ島までぶらぶら歩いてみよう。

冒頭のドゥ・ポン通りからマリー橋に向かって左の角に、たしかジャズのライブハウスがあったはずだ。 いつもジャズ専門FMラジオでその名前を聞いている店だが・・・人の気配がない。改装かな?と近づいてみると、なんと売りに出されていた。中世その ままの石造りのレトロな内装をときたま外からのぞきつつ、いつか入ってみたいと思っていたジャズバーだったが。その2軒隣には日本のフレンチレストラン 「○○松」があった。こちらも数年前に店をたたんでしまった。古き良きパリの風情が残るサン・ルイ島だが、北側の通りは商売に向かな い場所なのだろうか。

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さて、橋建設当時に戻るが、そこでおかしなことが起きた。流されなかった部分のもとの橋の上には家が建ったままだが、新しい部分には家を建てなかったのだ。遠くから見たら歯が 欠けたように見えただろう。1658年の大洪水の被害で22軒の家族が家も財産もなくしてしまった悲劇を再び繰り返さないために、という当局の判断だった。 1740年にはこの橋に残った家も取り壊され、その後、パリ中の橋の上に建っていた家は徐々になくなり、1788年にはすっかり消えてしまう。(その3に続く)