1515年、オテル・ディユー病院は、すっかり手狭となったため、左岸の川幅の狭い箇所に入院用病棟を建設することをフランソワ1世に申請した。

右岸に通じる北側ではなく、広場の向こう側の左岸を選んだのは、ただ南側という理由からではなかったようだ。この当時、左岸 にあった隣の橋(現在の「プチ・ポン」)が込み合っていたことから、新しく橋を造って川の上に建物を立ててしまえば一挙両得だったから。橋に建物 が乗っかっている建造物は、当時ではごく当たり前のことだった。1626年になって許可がおり、三つのアーチからなる石の橋が渡され、上には2階建ての 病棟が建てられた。フランス式2階建てだから、日本で言えば3階建ての天井の高い石造り。結構な高さがあっただろう。オテル・ディユー別館である。

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この別館病棟の真ん中を通っていた通路(橋)はもとは病院関係者用だったが、そこを抜ければ島に渡れるから、地域住民も通させてほしいと要求した。が、オテル・ ディユー側にしてみれば私有地。スムーズにはいかず、すったもんだのあげく、ようやく通行権が認められた。もちろん有料で。歩行者一人につき、当 時の貨幣で2ドゥニエ、馬に乗った者は6ドゥニエの税が課せられた。それがほかの橋の通行税の2倍だったから、ドゥブル(ダブル)橋と呼ばれるようになった。

完成してすぐに橋の欄干が割れるという騒ぎもあったものの、すぐ川下の、古くからあるプチ・ポンがつねに 飽和状態だったので(現在も事情は変わらず!)、通行税を払ってもこの橋を渡りたい人は多かったので、病院の通路は立派に橋の機能を果たし、納められた税金は建 設費に充てられた。(その3に続く)