そのかつての地獄通りにある真向かいの建物の地下にも、パリの歴史が隠されている。

こちらは祈りの場所で、パリ最古の礼拝堂サン・テニャンLa Chapelle Saint-Aignan(1116年)。12世紀はじめのパリの聖職者であり政治家でもあった貴族エチエンヌ・ド・ガルランドの私邸として建てられた。 一般公開されていないため、ふつうは見ることができないが、年に1度、数時間だけ公開される。伝説によれば、この界隈に住んでいた娘がジプシー青年の奏で る音楽の虜になるが、親に禁じられ、恋しさで命を失ってしまう。死んだ彼女のミサのとき、チャペルに祀られたマリア様の肌が黒ずんできたという…。

Pont-dArcole_s

21世紀の現在、この建物の3階に住む75歳になるB氏は一人暮らしだ。毎日窓からアルコル橋を眺めて暮らしている。橋の向こうにウルトラモダンなポンピ ドゥセンターの原色の赤と青が見えることにはもう慣れてしまった。朝は裏の建物から若い司祭たちのグレゴリア聖歌で目が覚め、朝食をとり終わったら散歩に 出かける。いつものカフェ「エスメラルダ」のカウンターでコーヒーを立ち飲みして家に戻る。

午後になると、橋の上でジプシーのアコーデオン弾きが毎回同じメロ ディを奏でる。彼にはそれが憂鬱だ。アコーデオン弾きがいなければ、サックス吹きやタムタムがやってくる。

アフリカで長いこと暮らした彼は、神も信じない かわり、エキゾチシズムにも興味はない。我慢しきれなくなると警察に通報しては取り締まってもらうのだが、大道芸人たちは性懲りもなくやってくる。何か不 思議な磁場に引寄せられたかのように。