1394年から1406年にかけてシャルル6世が、建築家レイモン・ド・タンプルに指揮を取らせて三つのアーチの石橋を建築するが、できてまもなく洪水で 流されてしまう。

PP_bateau_t

ところで、それまでシテ島には王宮(現在の裁判所)があったのだが、父王シャルル5世が1364年からルーブルを改築したときも同じ建築 家に任せた。1409年から1416年にかけて再建し、シャルル6世はこの橋をパリ市に贈与する。城塞から王の邸宅となったルーヴルに移り住んだあとだっ たから、「良きに計らえ」。

このプティ・ポンは何度も災害に遭い、少しづつ疲弊していきながら、17世紀の終わりまで持ちこたえるものの、最 後は火災という運命が待っていた。

1718年、4月のある晩、川で溺れた子供の亡がらを見つけようと、婦人がボートに乗ってローソクを手にこの辺りを捜していた。彼女のボートが干し草を摘 んだ輸送船とぶつかり、干し草に火が移って、プティ・ポンの下で燃え盛り、石造りではあったが一部が木であったため橋は焼け落ちてしまう。もちろん、当時 の橋だから、上に家屋が乗ったまま、がらがらと。

橋は翌年、すぐに架け直されるが、今度は上に建物のないすっきりした橋となる。(その3に続く)