オ・シャンジュ

さて、ローマ時代からセーヌ川のこの場所にあった中州(=シテ島)から左岸に渡るに架かる橋が川幅が狭いのでプチ・ポン(小橋)、右岸 に渡るに掛かる橋が川幅が広いのでグラン・ポン(大橋)と呼ばれていた。正確には現在のシャンジュ橋と同じ場所ではないが、右岸にはすでに、紀元1世紀ぐらいから橋が架けられていたことになる。
そのグラン・ポンが壊れた9世紀、シャルル禿頭王(2世)の治世に、そこから少し下流に橋が架けられた。この橋は1596年に水害で流され、次 の橋も1616年1月の大水で大破。何度も橋を架けては壊れ、時代によってはこの場所に2本の橋が平行して架かっていた時期もあったという。ようやく1本だけ になったとき、新しい橋はシャンジュ橋と呼ばれるようになる。

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名前の由来は、この橋の上にシャンジューウ(両替証人)たちが居を構え、農業収益を金に換えていたことから。当時は宝石商、彫金師、両替商が橋の上に ぎっしりと店を連ねていて、橋からはセーヌ川が見えなかったという。この橋は1621年に火災で焼け落ちてしまうが、橋の上に住む商人たちが資金を出し合 い1639年から1647年の間に7つのアーチのある立派な石造りの橋が架けられた。これは当時パリでもっとも幅の広い橋であった。1740年に改築されるが、1786年、橋の上の建造物は最終的に取り壊しとなる。(その3に続く)