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さて、ロンドンに遅れること30年、パリでも地下鉄工事が始まる。それを機に、オスマン男爵のパリ大改造計画の一環として、シャンジュ橋は1853年から 1860年にかけて建て替えられて、長さ103m、幅30m3つのアーチをもつ現在の橋となった。アーチにナポレオン3世のマークNの字が刻まれた装飾 は、この時代に建設されたほかの橋と同じである。
新しくできたオ・シャンジュ橋は広々としていた。橋の上の上流(現在のノートルダム橋)側には市が立ち、始終人だかりがしていたし、下流(現在のポンヌフ)側で は馬車や、馬の引っ張る路面電車が往来し混雑した。その名残か、現在でも、シテ島には花市と小鳥市、シャトレに渡った先には花市やペットショップが建ち並 んでいる。左岸の上流側からコンシエルジェリーをバックにして眺める橋の姿は、セーヌに架かる橋の中でもとりわけ中世のムードたっぷりの絶景だ。

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もともと宮殿だったコンシエルジェリーは14世紀から牢獄となり、革命後、ここに幽閉された人たちが次から次と断頭台に送られた。別名「ギロチン控えの 間」である。サド侯爵も一時、ここに幽閉されている。現在は観光名所となっていて、当時の独房の様子を蝋人形で再現している。独房はかなり狭く、寝床は藁だけのもあれば、ベッドと書斎つきもあり、捉えられた囚人の格によって広さも待遇も違う。マリー・アントワネットの牢獄だけはかなり広かったが、残念ながら彼女の部屋からオ・シャンジュ橋は見えない。彼女はここで2ヶ月半、何を思って過ごしたのだろうか・・・。

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最後に、ドゥブル橋(Pont au Double)のところで出た、橋の名前に由来する宿題について。フランス語に興味のない方はスルーしてください・・・。
フランス語でシャンジュ橋をPont au Change と書く。パリのセーヌ川に架かる橋の名称は、ほとんどの場合が固有名詞とpont(橋)を「・・・の」にあたるdeでつなぐか、pont(橋)のあとに固 有名詞をそのまま続けるかであるのに対し、この二つだけは例外的にpont(橋) のあとにauがきている。これはà+定冠詞の約束事だが、le change(両替)、le double(二倍)を「伴う」橋といったニュアンス。ほかの橋と違って、「通行税を2倍払わされる橋」であり、「その上で両替のなされる橋」という性質 からきた名称なのだろう。