こ うしてパリ市民に親しまれながら、ポン・デ・ザールは第一次、第二次世界大戦の爆撃にも絶えた。その後、二度に渡る船の衝突(’60、’71)を経験したが、 1975年3月17日に歴史建造物に登録される。1976年、パリ市の土木局の調査により橋の脆弱化が明らかになったため、翌年、閉 鎖。2年後の1977年、またしても船が衝突し、橋は60m崩壊してしまう。そして、もとの姿を残しつつも、隣のポン・ヌフとアーチの数を揃えて1982 年に建設されたのが、現在の7つのアーチの橋である。長さ155m、幅11メートルの新ポン・デ・ザールは1984年、7月27日、当時のパリ市長、 ジャック・シラックによって除幕された。

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ジャッ ク・シラクと言えば、親日家で知られるが、フランス大統領時代の1997年、京都の鴨川の三条四条間にまったく同じ歩道橋ポン・デ・ザールを建設する動きがあった。京都がパリ の姉妹都市となって40周年を迎えようとしていたとき、彼が思いつき、当時の京都市長に伝えたところ、市長は二つ返事で承諾。だが、大の日本びいきである シラクの構想であるにもかかわらず、住民の反対運動に押しのけられてしまった。パリにあってこその「芸術橋」なのだから、そんなレプリカを断固拒否した先斗町の女将さん初め、京都の人は賢かったなと思う。

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橋のたもとの階段を下りて世界遺産であるセーヌ河岸の石畳を歩いてみよう。左岸に6区の消防隊の詰め所。そういえば10年ほど前の夏の夕方、この近くのスー パーマーケットのレジで、わたしの前に体格逞しい若者たちが数人並んでいた。買い物を見ると飲み物とおつまみ。なんだか楽しそうだったので、つ い「フェット(パーティ)でもするの?」と話しかけたところ、「今晩、パーティがあるから友達を誘って来て」と言う。とっても見栄えのい い、がっしりした男子たちばかりで、ウットリ。誰だか分からないからもちろん行かずじまいだったけど、あとでフランス人の女子にその住所を言ったら、「えー、なんて もったいないことしたの!それ、6区のポンピエ(消防隊)じゃない! みなハンサムでかっこ良くて、地方出身者だから性格も良くて、ポンピエのパーティに呼ばれるのは女 の子の憧れなのよ!」と悔しがっていたっけ・・・。(その4に続く)