結 局、翌年、太陽王ルイ14世の出資で石造アーチ橋建築が着工され、1689年に完成するのが、ロワイヤル橋(王家の橋)である。18世紀、人々はなにかに つけてここに集まりお祭り騒ぎをする習わしになったという。橋を見下ろす左岸に、哲学者ヴォルテールがジュネーヴから移り住み晩年を過ごしていたが、そん なお祭りが暴動になってゆく様を眺めることもあったのだろうか。革命前夜の1778年に亡くなり、パリの公証人の子である彼が20代に2度も投獄されたバ スチーユがその11年後に襲撃される。一度はジュネーヴに埋葬されたヴォルテールだが、革命中の1791年にパリのパンテオンに移されている。

 

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フ ランス革命のあと、1792年〜1804年はナシオナル橋と呼ばれた。革命政府がチュイルリー宮の広間で開催している国民公会を守るため、ナポレオンはこ の橋の上に大砲を設置したという(ナポレオンはまだ20代前半、パリに出て間もない頃である)。国民公会を率いていたのがロベスピエールだが、革命の嵐の 中、指導者の彼も1794年に断頭台に消えてしまう。「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」ナポレオンは、その後一気に出世街道を駆け抜けるが、彼の 栄華が果てる1814年まで、橋はチュイルリー橋と呼ばれていた。

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ロ ワイヤル橋は1850年に軽く化粧直しされ、その後1939年、ポン・ヌフ、マリー橋と共に歴史建造物に指定された。両岸の橋脚にかつてのセーヌ川の水位 が記されている。大増水の折には半分以上水に浸かったやもしれない、今では老木となった古い大木が河畔の散歩道に張り出し、そんな橋の歴史を静かに見守っ ている。(その3に続く)

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