コンコルド橋左岸

凱旋門からシャンゼリゼ大通りがぶつかったところに位置するコンコルド広場から左岸に渡る橋が、コンコルド橋だ。

この橋は、最初の名前をルイ16世橋、革命橋、コンコルド橋と、歴史とともにその名前が変わっていった。革命時代にはこの広場に断頭台が設置され、怒りに燃えた群衆たちの面前で、ルイ16世やマリーアントワネットをはじめとする王族の首が断頭台の露と消えた。時代が下がり、1930年に「調和」を意味するコンコルド広場と呼ばれるようになり、橋もコンコルド橋と呼ばれるようになった。今では観覧車が回っている観光名所となっている。

コンコルド広場

最初にこの場所に橋が渡されたのは、1725年。ルイ15世広場(現在のコンコルド広場)を整備することとなり、桟橋から対岸に渡し船で渡っていたところに、橋が架けられることになった。フランス革命前夜の混乱した時期、「類16世橋」の工事計画が続けられていた。ジャン=ロドルフ・ペロネが1787年から工事の指揮をとることになるが、1789年7月14日に勃発したフランス革命でバスティーユ監獄が陥落すると、この橋には監獄の解体から出てきた石材を使われることになった。そして、名前も「革命橋」とわかり、工事は1791年まで続く。

1810年に、ナポレオンの第一帝政期に名誉の戦死を遂げた8人の将軍たちの肖像が橋の上に建てられた。現在は残っていないので、この8人の像とは、アンヴァリッド(廃兵院)のナポレオンの柩を見守るように円形に取り囲んでいる将軍たちの柩におさまっている将軍たちなのかもしれない。

・ナポレオン2世(ナポレオンの息子)
・ジョゼフ ボナパルト(ナポレオンの兄)
・ジェローム ボナパルト(ナポレオンの弟)
・ルージェ ド リール (仏国歌の作者)
・フォッシュ(第一次世界大戦の将軍)
・フィリップ ルクレール(第二次大戦の将軍)

あと二人は誰だったんだろう・・・?(その2に続く)

コンコルド